なぜ塾を創ったのか

光生塾、昨年の3月突然現れたその塾は

実は2週間という短い時間で産まれ

いつまでも完成しない塾だ

忘れもしない昨年の1月28日

当時働いていた塾の塾長に話があると呼ばれた

岡田くん、塾閉じることになった

そのひと言に私は妙に納得した

そうだよね、仕方ないよね。素直にそんな気持ちが出てきたのである

新型コロナウィルスの影響で行われた緊急事態宣言

その影響で塾の要となる新入生が非常に少なく

グループ全体での縮小を余儀なくされたのだ

数教室に白羽の矢が立ち、私が働いていた教室も閉塾となった

コロナ禍で戦ってきた1年間は非常に難しく

思うように行かなかったのが現実である

その後、転職や他の教室への異動等、様々なことを考えたが

私はどうしても諦めることが出来なかった

初めて塾講師として働いた年

その時まだ小学生だった生徒が

当時中1、中2に居たからである

このまま、さよならでは自身の気が済まない

辞めるにしても近隣の塾に話をして

様々なくせや特徴、伝えるポイント等を伝えてから辞めるべきではないか?

そんな事も考えたが

やはり納得がいかなかった

そんな事を考えながら過ごしていたが

3日後の31日思い立ったのである

自分で塾を創ろう

どんな形でも今いる生徒だけは責任を持って卒業できる形でやろう

そう思い立った瞬間、塾長に電話をした。

今いる子達を連れて塾を創ることを許して欲しい

最初は驚いていたが、最終的に

それなら俺の気持ちも少し落ち着くし頑張れ

と言葉を頂いたので1月31日正式に塾を開くことに決めました

2月末で元々の塾が閉まるため3月の頭に間に合うようにしなければなりません

正直めちゃくちゃ大変でした

子供が減っても責任を持って卒業まで面倒がみれるように

教室は時間貸しを選択し

机等を買い揃え

子供たちに閉塾が伝わるのが閉塾の2週間前だったので

その後、声を掛けて面談、時間割の決定

ほかの講師の方に声を掛けて手伝ってもらえるようにお願いもしました

その結果、8名の生徒と2名の講師が着いてきてくれることになり

なんとか光生塾が出来上がりました。

そんな突貫工事で自分のわがままを押し通してできた塾ですから

今後も完成することはありません

僕のわがままと生徒がいる限り光生塾は続きます

そして前に進んだり戻ったり

方向を変えたりしながら

失敗を積み重ねて進んでいくのが光生塾です

決して完成した塾ではなく未熟な塾であり、未熟な僕だからこそ

1歩1歩努力する塾になると思います

ぜひ、ワクワクしながら通ってください

私たち光生塾は日々ワクワクしながら過ごしております。

岡田