コミュ力なき学力、コミュ力ある学力
この仕事をしていると学力や学歴だけではいけないことを
まざまざと思い知る。
それはおそらくみんな同じなのではないかとも感じる
履歴書に書くことのできる学歴は大学入学時のものや高校である
しかし同じような学力の高校を卒業しているにもかかわらず
就職活動においてするりと内定をもらう者もいれば苦戦する者もいる
計算力や試行錯誤力忍耐力、倫理力などは
学力を身に着ける過程で副産物として自然と身につく
だとしたら違うのは上記とは別の力の差があるからだ
それこそがコミュニケーション能力だと感じる
履歴書に書くことのできない他者からの評価
この力をはかる為の面接ともいうことが出来そうだ
じゃあこの力っていったいどんな力なんだろうか
コミュニケーション能力ってどんな力なんだろうか
面接で面接官に「今の子良かったね」「ですね、私もそう思います。」と評されるための力
人の話をしっかりと聞き、リアクションを返す。
適度に頷いたり、相槌を入れる。
所々で笑顔になったり笑ったり、会話の間をつかみながら、しかし、自身の意見を口にし、ツッコんだりする。
聞いている自身も話している相手も心地よく、自然と言葉が湧き出るような、もっと会話を育てたくなるような
そんな会話をする力こそコミュニケーション能力といってよいと思う。
最近はラインやインスタグラムなどでのやり取りも増えているので
こういった文面対応もコミュニケーション能力の1つとしての存在が大きいだろう。
そしてこれらの土台には大きく共感力がある
勉強でも運動でも土台は大事、コミュニケーション能力においても例外ではないだろう。
私も含め人はやはり、誰かに認められたいし
おんなじ感情を誰かと共有したいものだ
同じ映画を見終わった後に映画の感想が一致したら嬉しいだろう
しかし自分が感動したシーンを、くだらない陳腐なシーンだと
けなされてしまったら、その後感想の共有をしたいとは思わないだろう。
きっとあなたの身の回りの友人たちとあなたには
多くの感情を共有できる話題があるはずだ。
会話をしながら「分かる分かる」と共感していることだろう。
この共有を他者にもできるという事が大事なのだ。
気持ちが分からなくてもいい。
しかし、言っていることは分かるよ(理解しているよ)
の気持ちで「そうだね」とか「分かるよ」といえる力が重要なんだと思う。
人の共感してもらいたい、認めてもらいたいという欲に
心地よく応える力
でも会話って自分が話しを聞くだけじゃない
話始めたり伝えたりする必要がある
自分の伝えたいことを分かりやすく言語化して伝える力
そんな力を総合してコミュニケーション能力というんだと
僕は考えている。
就活で履歴書から分かる学校名
そこから想像される
人物像
良くも悪くもそこから1つ抜けないと選ばれない
計算力、試行錯誤力、忍耐力、倫理力にコミュニケーション能力と共感力、そして発話力が加わる
子らなら終活強そうだし受かりそうだよね
まさに人に評価されそうだ
このコミュニケーションを育てる力こそ
親力ではないだろうか
子供が何かに共感したとき
ユニークな発想から話し始めた時
ママやパパ、友人を認め上手にお話ししてくれた時
意識して声掛けてる?
その発想いいね!とか
〇〇がうんうんってお話聞いてくれるからママ嬉しい!とか
ママやパパ、友達のいいところ沢山見つけててすごい!なんだか大人と話しているみたい!とかね
人って周りの評価に合わせて動く心理があるんだ
だから優しくなってほしいなら優しいねって声掛けが大事
よく「なんでそんなことばかりするの!」って怒っている親見るけど
そういう子だって暗示しちゃっているんだよね
怒ったり叱ったりすることは子育てにおいて重要だけど
それ以上に子供が自分の良いところを得意げに自慢できるように
自覚させてあげること
そのためにその瞬間を見逃さないことが何より重要なんだよ
脳みそって良いことより悪いことの方が6倍印象に残りやすいんだ
だから怒るよりも認める声かけを6倍以上してあげないと
子供たちは悪い言葉の実現に向かってしまう
子供の善い行いを見逃さないで!
優しくなってほしいなら優しい瞬間を
面白い子になってほしいなら面白い瞬間を
コミュニケーション能力なら沢山コミュニケーションをとって
嬉しい瞬間や楽しい瞬間素敵な瞬間をどんどん共感して認めてあげて